収縮(束縛)と解放
なんでもそうですが
ぎゅっと縮めて、そこから解放されると、ほっとしたり、楽になったりします。
その動きが何もなければ、いろいろなことが体験できないと、ある時、気がつきました。
小学校、中学校、高校と路線にのせられた教育(収縮or束縛)を卒業して、大学に入った時、はじめて自由を感じ、親や教師からの束縛から卒業した気分になったものです。
禅でも、座禅をして、それが終わると解放感があります。
ヨガも、一つの姿勢をある時間して(収縮)、最後のポーズ、シャバーサナになると、解放感に包まれます。
昨日、体調が悪い中、京都に行ったのですが、友人たちに、体調が悪いということを言わずにしばらく過ごしていました。これは収縮の状態です。ハロウィン会場に向かう電車に乗った時に、それを打ち明けたら、とても解放感がありました。
このことも、我慢という状態から抜けたので、リリースが起こったのでしょう。
以前の私だったら、すぐに我慢などせずに、それを表明したでしょう。
今は、どこまで我慢できるのか、それにトライしたい自分がいて、それを楽しんでいる感覚なのです。
歳を重ねるうちに、肉体の衰えを感じることがしばしばあります。意識のもちようで、どこまでその限界値がアップするのかを私たちは体験したいのかもしれません。
我慢することはいいことだと聞いて、育ちました。その反動からか、我慢しない生活をここ数十年過ごしました。
今度は少しの我慢は、解放感を伴うことを発見し、今は、少しの収縮(我慢)は、いいものだと感じています。
ps
悟りのメッセージで、「あるがままに生きる」という言葉があります。「我慢したくなる時に、我慢する」というのが。この視点からの表現です。
今後のイベント
セッション
無料メルマガ、LINE@
ブログに書けない深い話など、メルマガで発信しています。また時々、LINE@も発信しています。