真我実現
20世紀最大の覚者といわれる、ラマナ・マハルシがこういっています。
「内側にも外側にも等しく輝く覚醒という姿のなかの意識ー至福の輝き、
それが至高の、至福に満ちた根源的実在である、その姿は沈黙であり、
何ものにも妨げることのない究極の真の知識だ」
[あるがままに ラマナ・マハルシの教え]デービィット・ゴーマン編 ナチュラルスピリット社より
最初、この本を読んだとき、さっぱり何をいっているかわかりませんでした。
「至福に満ちた根源的実在」← そんなものが、本当に実在するなら、それを見つけたい
自分の真我を発見して、悟りたい。
そんな風に、2回目に読んだ時は思いました。
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質問者:どうすれば真我を実現できるのでしょうか?
マハルシ:真我の実現とは新たに獲得されるような何かではない。
それはすでにそこに在る。必要なのは「私は実現していない」という想念を追い払うことだ。
静寂あるいは平和が真我の実現である。真我が存在しない瞬間はない。
そこに疑いや自分が実現していないという感覚があるかぎり、
それらの想念を追う払うように試みなければならないだろう。
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上記の箇所を読んだとき、
「私は実現していない」という想念を追い払うこと← どうやったら、これができるのか叫びたくなりました。
それができないから、困っているのに。
また、真我とは真の我と書くので、自分の中心であり、心臓のあたりに輝く光みたいなものだと
その時、イメージしました。(その後、それは、全然違うとわかり愕然としたことがありました)
マハルシの言葉を追ってみます。
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マハルシ:至福とはあなたの自信の存在そのもの以外の何ものでもない。
あなたは至福である存在から離れていない。
あなたは今、あなた自身を移ろいゆくはかない心と身体だと考えている。
だが、あなたは不変で永遠なるものだ。それこそあなたが知るべきことである。
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この文章を読んだとき、どこかで、このことは真実だと感じました。
なにか、なつかしさを覚えたのです。
しかし、こうも思いました。
「あなたは至福である存在から離れていない。」←これが真実ならば、なぜ私もこうも苦しく、悩みが多いのだろう?
早く、その至福を発見したい。
そう思ったのです。
ある時、そのカラクリの全貌がわかり、大笑いしたことがあります。
ずっと、今ここにある至福、静寂、沈黙、愛(=真我)を発見したくて、
多くの時間とお金を使い、沢山の覚者に会いに行った自分がこっけいに思えたのです。
求めていたものは、目の前にあったからです。
しかし、本を読んでいるときは、そんなことは知りません、だからソレを渇望し、
どうしたらソレに到達できるのか、ない知恵をしぼったものです。
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「私は存在する」だけが誰にとっても永久的な、自明の体験である。
「私は在る」(I AM)ほどそれ自体で明らかなものは他にない。
人々が明らかだと言う感覚を通して得た体験は、まったく明らかでない。
真我だけが明らかなのだ。
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上記を読んで、なるほどと思ったものです。
でも、ノンデュアリティティーチャーが
「私はない」というメッセージを発したとき、わけがわからなりました。
「私はない」というのも、真実だと、どこかで知っていたからです。
実は、マハルシが「私は在る」(I AM)と言っていることと
ノンデュアリティティーチャーが「私はない」と言っていることは、同じところを指しているのです。
上記に気が付いた時、言葉が指している先を認識することが大切だと、思いました。
月を指す、指は沢山ありますが、指す先は一つなのです。
今後のイベントなど
「ボクが地球を救う!」WEB朗読会(4/19~) 4月は無料
アドリエ会 新大阪(4/16)、大津(4/22) 開催します。