生まれながらの自由
今日は、「生まれながらの自由」ジャック・オキーフ著を紹介します。
この本は、永遠の幸福へのダイレクト·パス(直接的な道)を輝く光で照らすガイドです。
人間としてのあるがままの真実、自由と喜びに生きる素朴さについて、理解を深める本といえましょう。今ここで、尽きることのないマインドの安らぎと、ハートの開放を手にすることができるのです。
この文書を読んだだけで、本が書いたくなりました。
「今ここで、尽きることのないマインドの安らぎと、ハートの開放を手にすることができるのです。」
これが得られるのだなと、単純に思ってしまいました。アイルランド出身の女性覚者というのも惹かれました。外国の覚者は、女性はあまり聞きませんので新鮮でした。
P132~133より引用したいと思います。
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空から起こる行動は、愛にあふれています。しかし、誰かが意識的に愛情の深さを実践しているのではありません。純粋なマインドの中で”無私に与えること”は、動機や自己顕示、期待なく起こります。
それらの裏には何か特別な考えがあります。そのような思考がなく、エゴがなければ、個人もなく、普遍的な理解がうながされます。
そこには与える人もいません。受け取る人もいません。ただ、形の中で動きが起こります。
「個」は概念にすぎないと理解し、その理解に親しんでください。
これは多くの唯神論的習慣の中で「個人的な意思を神聖なものへと明け渡し、神の手足となり、神の意志に従う」と表現されています。
しかし、この道しるべも知的に理解されるだけで、本当の意味が見落とされています。
神の道具となるような個人的な「私」はそこにはいません。なぜならそこで二つに分離してしまうからです。
「二」は常に苦しみをもたらし、「二」という概念は思考との同一化を生み出します。
親切も、人の役に立つ行動も、どんなに動機が純粋であっても、何をするにもそこに”誰か”がいる限り課題は必ずあります。
これがマインドの性質です。個人はマインドがつくった主観的現実の中にだけ存在します。
個人的な「私」の不在を生きることは本当に自然です。「私」を生きることは大変骨が折れます。
思いやり深い愛を実践しようとする時、結果に何らかの期待があります。行動自体が純粋であっても、マインドは常に見返りを探しています。
エゴがない、個が不在の時だけ、「完全なる思いやり」はあなたの形に生まれます。空から無私で与えることが起こるのです。
その場合、思いやりのある行動は全く個人的ではなく、愛なしで実行されることは不可能です。
人に親切に、愛情深く接することが”正しいこと”だから行動に移すのなら、それは「正しい·正しくない」という思い込みから完全に影響を受けた思考であり、マインドが舵を握っています。
思考との同一化がなければ、思いやり深い愛、親切、寛大さが生まれ、気遣いや優しさが現れます。
自然に流れ過ぎていくものは、後にも先にも、マインドに編集されず、空がある場所は、マインドと関係していません。完全なる空から与えると、感謝を求めません。
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読んでいるとうっとりしてきます。無償の愛からの行動はこんな感じなのだと推測できます。
これは多くの唯神論的習慣の中で「個人的な意思を神聖なものへと明け渡し、神の手足となり、神の意志に従う」と表現されています。
何度か、このような表現にであったり、聞いたりしました。
最初は不思議でした。なぜ、聖職者やりっぱな人と言われている人がこんな発言をするのか。
なんだか、人間が神へ奴隷になりますと誓っているような気がしたからです。人間の自由意思を放棄するのかと疑問にも思いました。
でも、ジャック・オキーフ解説を読んでいると、納得します。
個人的な「私」の不在を生きることは本当に自然です。「私」を生きることは大変骨が折れます。
本当にそうだと思います。でも、どうすれば、「個人的な「私」の不在を生きること」ができるのだと、昔の私は思いました。
トニーパーソンズ系ノンデュアリティティーチャーは、この質問をするとこう答えるでしょう。
すでに、私はいません。そもそもすべては、個人的な「私」の不在を生きて(動いて)います。
質問者は、個人はいると思っていて、回答者は、いない現実を生きています。
話がかみあわないのもうなずけます。
今の私はこう答えます。
今にいなさい。思考を眺めて、ほっとくのです。
思考をほっとくには、常に発生している思考に気づく必要があります。
さらに、思考を眺めている、何かに気づくのです。
そのコツがわかれば、思考を超えた、今に生きることになります。
今後のイベントなど
「ボクが地球を救う!」WEB朗読会(4/19~) 4月は無料
ノンデュアリティの講師の方の言うことが理解できなくて苦しんだことがあります。
「質問者は、個人はいると思っていて、回答者は、いない現実を生きています。」
この説明は、とてもわかりやすいです。これが、混乱の原因だったのですね。
「今にいなさい。思考を眺めて、ほっとくのです。」
これもそのとおりだと思います。思考に対してあれこれしてしまいがちですから、
ほっておく練習をしたいと思います。
わかりやすい説明をありがとうございます。
わかりやすい説明をありがとうございます。
のりちゃん、コメントありがとうございます。
>「ノンデュアリティの講師の方の言うことが理解できなくて苦しんだことがあります。
私も、最初はそうでした。ノンデュアリティー・ティーチャーの本で言っていることが、さっぱりわかりませんでした。
>「今にいなさい。思考を眺めて、ほっとくのです。」
>これもそのとおりだと思います。思考に対してあれこれしてしまいがちですから、
>ほっておく練習をしたいと思います。
いつも思考に気が付くようにすると、それができるようになると思います。