もっとも深いところで、すでに受け容れられている
今日は、ジェフ・フォスターの「もっとも深いところで、すでに受け容れられている」です。
帯にこの本の核心が書かれています。
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この瞬間、あらゆる気に入らない波、存在してほしくない波も含めてすべての波が受容されている。
受容は、美しく見えたり感じたりする必要はない。真の受容は、受容はこうあるべきといったあらゆる観念を超越している。真の受容とは、本質的にあなたという存在そのものであり、この瞬間をまさにありのままに許すものだ。受容できないことでさえ、本当のあなたという存在は受容している。この受容は、根源的なものなのだ。
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ジェフの言葉は深淵で、深いですね。受容ということに関して、次のように述べている。
受容の真の意味 P80~の引用
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次に、受容という観念をもっと深く見ていこう。その言葉は、だいぶ間違って解釈されているように思える。
海としてのあなたという存在は、すべての波を受容しているということになる。それは単に海はすべての波そのものであるからだ。
つまり、受容する以外に選択肢はないのだ! 海は、ある波を受け入れてある波を拒絶するなどということはしない。それは無条件の受容であり、受容に関して人が持っている観念をはるかに超えたものだ。
海が波を受容するということは、非受容か受容かといった相反する概念を超越している。
受容とは海と波は切り離せないということであり、それゆえ相反するものは存在しないのだ。
すべての波が、海によってすでに受容されている。そして、本質的にはあらゆる波がすでに受容されているという事実こそが、この本が言わんとすることのすべてだ。
これが生命の最も深い受容であり、それは個としてのあなたが実現できるものではない。
実際にここで扱っている問題は、この最も深い受容を実現しようとすることではなく、あらゆる体験の中でそれを認識すること、それがわかること、それに気がつくということだ。
深い受容を実現する必要などない。それはすでに起こっているのだ。
後は、この瞬間、すべての瞬間に、すでに起こっていることにただ自然のままに気づくだけだ。
体験のあらゆる波、あらゆる考え、あらゆる感覚、あらゆる感情、あらゆる音、あらゆる匂いはここに存在することがすでに許されいる。
波が現れるときには、あなたという存在によってすでに受け入れられているのだ。
波がやってくること自体がすなわち受容である。水門はすでに開かれていて、この瞬間は、たった今あるがままの通りになることが許されている。
人は、すでに許されていることしか体験していのだ!
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私達が体験している、嫌なこと、こんなことは絶対に許されないと思う出来事でさえ、
全部、許されているから、起きることができるのだと、言っているのです。
そんな視点で見ると、すべての人を受入れ、その存在を許せるかもしれません。