ハートへの哲学
今日は、天音優希さんの「ハートへの哲学」です。
最初のページにこう書かれています。
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あるとき、ふと気がついた。
<自分>と<世界>の垣根なんて、本当はなかったのだということに。
そして圧倒された。
すべてを紡ぐ<一なる愛>の奔流に。
そうして<理解>が降ってきた。
そこに描かれていたのは、世界の途方もない尊さと、耐えがたいほどの美しさだった。
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私もある時、このことに気が付いたことがあるのですが、優希さんが表現すると、こんなにも詩的に美しく書けるのかとうなりました。
虹色の理の章p52~引用します。
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世界には決められた意味や価値基準というものはないってこと。
これこそが一番正しくて価値のある考えっていうものは、存在しないんだ。
だから君は、誰かの主張に自分を明け渡す必要なんて一切ない。
ここで、究極的な意味づけが存在しないということは、すべてのものは無意味だということではないよ。
無意味というのも、無意味という一つの意味づけにすぎないからね。
そうではなくて、そこには無限の意味が成り立つ余地があるということなんだ。
答えがないということは、同時にありとあらゆるすべてのものが答えとなりうる、ということでもある。
君という存在の尊厳が打ち立てられる立脚点は、ここにある。
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この文章を読んだ時、嬉しくなりました。一瞥体験をした後の虚無で苦しんでいる人が、この文章を読んだら、虚無から抜け出すきっかけになると思ったからです。
私自身も「私がない」という一瞥体験をした後、半年ぐらい虚無的になり、人生を生きる意味がわからなくなったことがあるからです。