ポケットの中のダイヤモンド その2

今日も、ガンガジの「ポケットの中のダイヤモンド」から引用します。

「悟りによって何が得られるか」P187~
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世俗的欲望に従うことがしばしば終わりのない苦しみを生む、ということをほとんどの人は経験的に知っており、その経験から、欲望に追随すれば代償を払うことになる、ということに気づきます。

代償としてあなたが失うのは、あなたの生命力であり、焦点、目的意識です。もちろん、世俗的欲望を満足させることに喜びを感じ、それを失う痛みを味わうこともあなたにはできます。

けれども、世俗的な欲望がもたらすものの限界を認めない限り、人生が真の深まりを見せることはありません。いったん限界が見えると、世俗的な欲望が、今度は精神的願望の領域へと巧妙かつ致命的な転換を起こします。

真理に対する願望、それは高尚な願望だとされてはいますが、あなたは相変わらず、なぜ苦しみがなくならないのかと疑問に思うことでしょう。自由、愛、真理、あるいは神を欲することは問題ではありません。

私の師、パパジは、何にも増して自由を求めるならば、その願望そのものがほかのあらゆる願望を消滅させる、と言いした。その通りです。自由への願望はほかのあらゆる願望を呑み込むのです。ですから、悟りを得たい、という願望は問題ではありません。

問題なのは、悟りが自分をある特定の結果に導いてくれるとか、特定の姿、特定の気持ちにしてくれる、と期待することです。それを期待していると、自分は悟り以外何ものも求めていないのに、それでも変わらぬ平安が得られないのはなぜか、という混乱と疑問が生じます。

あなたの頭の中をよく調べて、そこに、真理、自由、悟り、または神のイメージがあるかどうか見てごらんなさい。もしイメージがあったら、一つ実験してみましょう。そのイメージを捨てるのです。

今度は、神に関連した期待があるかどうか見てみましょう。

たとえば、自分が神に忠実ならば神は自分に完全な健康、富、永遠の幸福等々を与えてくれる、というような期待です。自分の頭の中をよく観察して、神あるいは真理を手にすれば人生から解放される、または人生をある程度コントロールできるようになる、と期待していないかどうか見てごらんなさい。

では、自己探求のために、今度はこうした期待を手放してごらんなさい。放棄するのです。捨ててしまってください。もしあなたが、ある特定の明快さ、無上の至福感、またはあなたのこの世における目的に対する確信などが得られることを期待しているなら、すべての期待を捨て去って、ただここに存在してごらんなさい。何もかもを捨てるのです。何ひとつ持たなくなったとき、あなたに残されたのはただあなた自身です。

そしてあなたが本当に、あなた以外の何ものも持たないとき、あなたはあなたの真実の姿に目覚めるのです。

もしもあなたが自由であることを望み、その願望にどんな形も、期待も、思考も与えることなくただあるがままにしておいたなら、この本物の願望が、あなたの知っている世界も知らない世界も、宇宙のすべてを見せてくれます。すべての粒子は一つであること、そしてその「一つ」とはすなわちあなたなのです。

神、自由、あるいは真理への願望が、ある特定の結果を招いたり、特定の姿、気持ちにしてくれると思った瞬間、本物の願望の純粋さは失われてしまいます。

すべての精神的探求者にとっての課題は、それがどんなに美しく、本質的な探求であったとしても、その最終的願望を充たすためのどんなものも追い求めるのを止める、ということです。

大切なのは、あなたの人生そのものがその願望を充たすことなのです。あなたは、残りの人生のすべてをそのために捧げることができます。

その結果何が起きるか、破滅し、住む家を失うか、富と名声を築くか、それを知らないまま、この瞬間のあなたの人生を、真理、自由、神に捧げることができるのです。
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ガンガジが「問題なのは、悟りが自分をある特定の結果に導いてくれるとか、特定の姿、特定の気持ちにしてくれる、と期待することです。それを期待していると、自分は悟り以外何ものも求めていないのに、それでも変わらぬ平安が得られないのはなぜか、という混乱と疑問が生じます。」というように、悟りを求める気持ち以外は、すべて捨て去ったことがあります。しかし、それでも悟りは訪れませんでした。

どうしていいか、まったくわからず茫然としていたことがあります。

「ただここに存在してごらんなさい。何もかもを捨てるのです。」

それで、悟りを求める気持ちも捨てました。それでも悟りは訪れませんでした。しばらくして「私は、悟りを求める気持ちを捨てた」という思考を作っていただけだと気が付き、唖然としました。

そしてあなたが本当に、あなた以外の何ものも持たないとき、あなたはあなたの真実の姿に目覚めるのです

それから、しばらくして、上記のことを理解できる深い洞察が起こったのです。

「神、自由、あるいは真理への願望が、ある特定の結果を招いたり、特定の姿、気持ちにしてくれると思った瞬間、本物の願望の純粋さは失われてしまいます。」

上記のことは、探求者が、よく陥る落とし穴です。私も、何度も、その落とし穴に落ちたことを思い出します。

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ポケットの中のダイヤモンド その2” に対して1件のコメントがあります。

  1. 松山 秀司 より:

    この本は、私を非二元の入り口に招いてくれた貴重な本です。
    イメージされた悟り、思考が紡ぎだす物語といった蒙昧の在り方を
    指摘し、教えてくれた本でした。下記で朗読が聴けます。

    1. adoriehiro より:

      松山さん、そうでしたか、私も朗読、以前、聞きました。(^^♪

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