ポケットの中のダイヤモンド その3

今日も、ガンガジの「ポケットの中のダイヤモンド」から引用します。

「はじめから永遠不滅のもの」P193 後ろから4列目~
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最終的には、すべては失われます。それがいつかはわかりませんが、あるときあなたの人生は終わりを迎え、
それと一緒にすべての関係、すべての経験、敗北、勝利、蓄積したもの、手に入れたものの何もかもが終わりを迎えます。何もかもが消え去るのです。これはすべての人についての真実です。

永遠なもの、失われることがないもの、私たちのそもそもの真実の姿について、誰かが口を開くというのは、かつては非常に稀なことでした。一般に、こうしたことを語った稀なる偉大な先人の多くは理解されませんでした。

ほとんどの人が、「この偉大な人物の言うことを理解できれば、この偉大な人物が持っているものを私も手に入れることができ、それは二度と取り上げられることはない」という希望を抱いて彼らの話を聞いたのです。

すると、聞く人のエネルギーはすべて、何かを手に入れる努力、何かを理解する努力に向けられます。
あなたはそのどちらの努力もしないでください。そうして、ただあなたの内面をまっすぐに見つめ、何が真実かを見極めてください。

もしもほんの一瞬、すべてを失うという経験を、本当に何もかもを失うという経験をあなたが自分に許すとしたら、あなたには、常に変わらず存在しているものの過激な真実が見えるはずです。あなたは直接、自分自身で、偉大な先人たちが指し示していたものを理解できるでしょう。

聖典や経典をあなた自身の経験のほとばしりとして理解することができ、それは勉強する対象ではなく、永遠不滅にここに存在するものの奏でる歌として理解できるでしょう。
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肉体の死を、真剣に考えると、ガンガジが言っている「最終的には、すべては失われます。それがいつかはわかりませんが、あるときあなたの人生は終わりを迎え、それと一緒にすべての関係、すべての経験、敗北、勝利、蓄積したもの、手に入れたものの何もかもが終わりを迎えます。何もかもが消え去るのです。これはすべての人についての真実です。」が事実であると、わかります。

そして、その時、初めて、人生の大半の時間を「何かを手に入れる努力、何かを理解する努力に向け」ていたことに気が付きます。

「もしもほんの一瞬、すべてを失うという経験を、本当に何もかもを失うという経験をあなたが自分に許すとしたら、あなたには、常に変わらず存在しているものの過激な真実が見えるはずです。あなたは直接、自分自身で、偉大な先人たちが指し示していたものを理解できるでしょう。」

私自身、これを実験的にやったことがあります。イメージで自分がもっているものをすべて手放し、肉体の手や足、目、耳などをなくしたとき、今まで経験したことのない、平安が訪れ、今ここにそれがいつもあったことに気がつきました。

ガンガジの表現は指摘で美しいですね。

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