われ在り I AM

今日は、「われ在り I AM」ジャン・クライン (著) を紹介します。

帯には「叡智が輝く書 非二元の最高峰の教え」とあります。この帯を見ただけで、読みたくなりますね。(^^♪

P32~引用します。
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私は自分の存在の本質を早く知りたくてたまりません。私はまだ真の明晰性をまったく感じられないので、また対象に気を取られてしまいます。静寂にいざなわれているというよりもむしろ、前よりも静寂にいざなわれることがなくなりました。

願いが叶ったり、何かの行動を成し遂げたりした瞬間に注意してください。そして、それらの瞬間に波長を合わせてください。そうすれば、あなたの「存在したい」という願いに変化が生じるでしょう。
心から不安や恐れ、不満などがなくなると、自分の本当の願いは「在りたい」ということだけだとわかるでしょう。この願いには興奮や散漫さがまったくありません。見つけるべきものは何もないのだとわかれば、熱心な探求者ももう、明晰性の探求を急がなくなります。なぜなら、失われたものは何もないからです。

自分は「探求者」によって間違ったほうへ導かれているのだと私たちがはっきりと自覚すると、それまでそれが自己だと私たちが思い込んできた人格はひとりでに消えてゆきます。

存在したいという願望は望まれているもの自身から直接湧き上がってきます。言い換えると、真我はそれ自身を探し求めるということです。このことがわかると、私たちは集めたい捕まえたい、達成したいという欲求を抱かなくなります。そして、心の活動が少なくなってゆきます。

このことを深く理解すると、私たちは自然に自分の故郷へ連れ戻されます。恩寵が私たちをそれ自身へと引き寄せるのです。このことを言葉で言い表すことはできません。それはただ、生きられることしかできないのです。

どうすれば絶え間なく揺れ動く思考の流れから抜け出すことができますか?

現れては消えていく思考の流れをひたすら観察してください。それらを拒絶したり助長したりしてはなりません。決してそれらを導こうとしてもなりません。ただ、淡々と注意深く見ていてください。そうすればすぐに、あなたは思考や感情、感覚などがこの無方向的で注意深い意識、つまりあなたの開放性の中に現れるのを感じられるようになるでしょう。

それらはあなたがいるからこそ存在するのです。ゆえに、それらの現れはそれらの故郷である、真のあなたを指し示します。最初にあなたは、自分が自分自身の思考に介入し、それらを抑圧したり、逆にそれらに飲み込まれてしまったりしていることに気づくでしょう。あなたがそんなことをするのは、孤立させられ、今まさに死にそうになっている自我が不安を感じているせいです。しかし、能動性や受動性といった心の習慣から自由になると、あなたは自分本来の静かな注意の状態になってゆくでしょう。
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私は探求しているときに、「悟り」をいつか到達できる未来、あるいは、すごい境地を外に求めていました。

外に求める必要がないとわかった時、ジャン・クラインがいっているように、「見つけるべきものは何もないのだとわかれば、熱心な探求者ももう、明晰性の探求を急がなくなります。なぜなら、失われたものは何もないからです。」ということに気が付きました。

今、ここで完璧であり、後は、内に向かって、気づきor悟りを深めていけばいいだけだと、わかり、それから、悟りを求める気持ちは無くなったのです。

長い探求が終わったことを理解しました。とてもすがすがしい気持ちになり、それから、人生を楽しむ方向に舵をきったのです。

話は変わりますが、思考観察をある一定期間、つづけると、下記のことが明確になります。長期のクラスやセッションで、それを発見した人は沢山います。

現れては消えていく思考の流れをひたすら観察してください。それらを拒絶したり助長したりしてはなりません。決してそれらを導こうとしてもなりません。ただ、淡々と注意深く見ていてください。そうすればすぐに、あなたは思考や感情、感覚などがこの無方向的で注意深い意識、つまりあなたの開放性の中に現れるのを感じられるようになるでしょう。

思考を観察するだけでは、うまくいかない人が多いです。思考を観察している意識にファーカスするコツをつかむと、すぐに「あなたは思考や感情、感覚などがこの無方向的で注意深い意識、つまりあなたの開放性の中に現れるのを感じられる」とことが起こります。

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われ在り I AM” に対して1件のコメントがあります。

  1. 松山 秀司 より:

    思考は観察するまでもないのかと思います。
    勝手に湧いてきて、勝手に去っていきます。
    “観察”すると、それを追いかけてしまう嫌いがあります。
    ただ見て放っておけばいいんじゃないかな。

    1. adoriehiro より:

      松山さん、それができている人には、必要ないかもしれませんね。私が勧めているのは、思考に気づいている「何か」に意識をフォーカスしづづけることです。
      これは、思考を観察することとは、少し違います。

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