不滅の意識 ― ラマナ・マハルシとの会話
今日も、ラマナ・マハルシの本を紹介します。
第10章 宗教の意味
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すべての(宗教的)教義は、大衆を真我の本当の真理に誘なうための予備段階にすぎない。諸宗教は、開祖の最高の表現と最高の知恵を必ずしも必要としない。
開祖は彼らが生きていた時代と人びとの精神的受容力を考慮せねばならなかった。最高の知恵は、大多数の人びとの心にとってあまりにも微細であり、したがって、世界、神、身体、進化などの全体の構造は、人びとが一つの実在ー真我の単純な真理を信ずるよりもむしろ、すべてのこれらのことを信じるほうがより容易であるらしいという理由で、公表されねばならなかったのである。
①そのように、再生(輪廻)、アストラルのレベル、死後の生存などは本当であるが、しかし低い見地からのみ言われてきた。
すべては見地の問題である。
②本当の真我の、最高の見地からすれば、すべてその他のものは架空のものとして消え失せ、実在だけが残る。
③微細な、アストラルな身体が存在することは本当だ。なぜならば、夢の世界において機能するためには身体が世界にとって必要であり、しかしそれはそれ自身のレベルにおいてのみ実在であり、
④一方われわれがそれに気づこうと気づくまいと、一つの真我はつねに実在し、つねにそして永遠に存在するからだ。それゆえそれを探求するほうがいいのだ。
なぜなら他の身体は条件付きでのみ実在するからである。
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上記の文章を読んで、うなってしまった。私がここ1年~2年の間に伝えてきた核心が述べられているからだ。
ラマナ・マハルシは、①で、非物質の世界や存在は本当であること述べている。
②で、最高の見地からすれば、真我だけが在ると言っている。
論理的には、矛盾する言葉を、①と②で言っているが、すべては見地の問題である。と説いている。
「ボクが地球を救う!」本で、この矛盾が存在するのは、視点の問題だと書きましたが、ラマナ・マハルシも、過去に同じことを言っていたのです。
一瞥体験をした人は、②が真実なので、①は嘘だと伝える人もいます。過去生の記憶がよみがえってきたり、非物質の存在との接触の経験がない発信者はそう伝える傾向があります。
見る視点のレベルによって、ある、ないという表現の違いが生じるだけで、ラマナ・マハルシが言っているように、最高の視点(見地)からすれば、真我(空)しか存在しないと言えます
ラマナ・マハルシは③で非物質な身体のことよりも、真我を探求したほうがいいと言っています。
理由は、他の身体は条件付きでのみ実在するからである。と述べています。
ラマナ・マハルシが再度、素晴らしいと思ったのは、真我の探求を力説していますが、「再生(輪廻)、アストラルのレベル、死後の生存」を否定しないところです。
ラマナは別の場面では、転生輪廻や霊魂(アストラルね)の存在を明確に否定しています。ラマナやニサルガダッタは、ときに、まったく矛盾したことを言うことがあります。これは、客観的な視点の問題ではなく、対話相手の機根や状況に合わせて、その場に適した説法をするからです。つまり釈迦と同じで、対機説法をするのです。ですので、自らの言説と一致する部分を取り出して、ラマナも同じことを言っている、などというのは、ちょっと稚拙な論と言わざるを得ません。バシャールでも引用した方が無難じゃないですか?
松山さん、貴重なご意見ありがとうございます。松山さんの見解も尊重したいと思っています。
私自身もそう考えていた時期もありました。そして、今でも覚者たちは、目の前にいる人に対応して、その人のレベルに合わせて、説法をしていると感じています。