ホームに誰もいない

今日は、「ホームに誰もいない」ヤン・ケルスショット (著)を紹介します。

「誰かいますか?」P230より引用します。

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「ホームには誰もいない」という概念を発見することの大切さがよく表れている、あるピアニストの話があります。

彼は有名なピアニストで、美しい田舎の川に面した屋敷に住んでいました。

毎週日曜日の朝、日の出の時刻に、彼は小さなボートに乗って川に出ます。

慌ただしい日常から離れ、二~三時間ほど一人の時間を過ごすのです。

ボートを下流に向かわせ、しばらく行ってから川の真ん中で錨を下ろします。

そうやって早朝に、彼はボートに座っていました。周りには誰もいません。

彼は水面を見つめ、自然の中で安らぎと静けさを味わい、何もせずに過ごします。

和らぎの中で座っていると、なぜ人々は互いを煩わせるのだろうと不思議でなりません。

鳥の声を聞き、太陽が水面に映し出す色彩を見つめていると、なぜこの世にはかくも問題が多すぎるのだろうと、信じ難い思いに駆られます。

どうして私たちは隣人や友人と対立してばかりいるのだろう・・・・。彼は自問します。

突然、後ろからボートに衝突され、彼の心がかき乱されます。彼は驚きと同時に怒りをおぼえ、振り向いて罵ろうとしはす。

そして、永久の一瞬の間に気づくのです! ぶつかってきたのは無人のボートだということに。

彼は、誰もいないところに向かって怒鳴っていたのです。そして、上流から来た別のポートと衝突したのだ、とやっとわかります。

怒りは一瞬にして消え、時は不在となった瞬間の中で彼は完全なる沈黙の一部となり、沈黙がすべてを取り込んでいきます。すべてとの一体化が起き、同時にすべてが無限の愛に包まれています。

のちに、この衝突はそれまで彼が考えていた哲学的テーマのメタファーであることに気づきます。

問題を起こしている相手だと思っている他人は皆、この無人のボートのようなものだと理解するのです。

他のポートにキャプテン (船長)はいません。ポートが何をしようと、仕方がないことなのです。

なんと素晴らしい発見でしょうか! この地球に生きている人は皆、催眠にかかっています。

「私たちは分離した個体であり、それぞれが異なる身体の中で生きていて、一つの惑星上を歩き回っている」という共通信念による催眠です。

私たちは皆、これを信じています。自分のボートにはキャプテンが「いる」と思っているからです。

そして、皆こう言います。「私の頭の中にはキャプテンがいて、自由意志と選択権を持っている」と。

ですから、「私の周りにはたくさんの身体が歩き回っていて、皆自分とそっくりに見える。だから、彼らにもキャプテンがいるはずだ」と結論づけています。

そして、とてもリアルに見えるというだけの理由で、私たちはこの信念の催眠にかかっているのです。

さあ、もうすべてが明瞭で、一点の曇りもありません。彼のボートにもキャプテンはおらず、ただ漂っています。ただ水の流れに乗って、その流れのようなものに流されているだけです。

言い換えると、彼は常々自分は身体の中に住んでいると思っていましたが、その「彼の」身体は空の箱だったということです。

それは、ピアノの音楽が流れているラジオの中にピアニストがいない、ということとまったく同じです!

「誰もこの身体の中に住んではいない。誰もホームにはいないのだ!  他のどのポートにもキャプテンがいないように、私のポートにもキャプンはいないのだ」と、今、彼は気づいています。

ただ、いるように見えているだけなのです。

これに気づくことで、彼のスピリチュアルな探究は終わりました。そして、この出来事は何だったのかという結論に至るまで,しばしそこに座って真に考える時間を過ごしました。

そうしてしばらく静かに座っていると、彼はお腹がすいてきました。彼の胃が彼を「現実の」世界に呼び戻します。静けさの香りはまだ背景に漂っていますが、「彼」はいつもの在り方でそこにいるわけではありません。

何もかもが素晴らしく同時にとてもありふれています。彼はポートを上流に向かって漕ぎ、家に戻ります。

朝食を食べるためです。コーヒーを飲みながら、すべてはあるがままに存在しているのだと悟ります。

善も悪もなく、過去も未来も現在もありません。これほど明らかで単純なのに、どうして誰も気づいていないのだろう? 冷蔵庫の音、コーヒーの香り、ジャムの味、すべてが「それ」を皆に向かって表現しています。

これは公然の秘密ではあるが、皆が理解できるわけではない–そう彼は気づきました。

友人に話したかったけれど、「それ」を何と言い表せばいいかわかりませんでした。

彼の人生はあの日曜日の朝に変わり、もう二度と元に戻ることはありませんが、彼のどこが変わったのかに気づく人は一人もいませんでした。彼は相変わらず、ピアノを弾いています。

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このピアニストのように、日常を乱す、突発的なことで、突然、目覚める人(見かけ上の人)もいます。

いままで常識だったものが、突発的な何かで、その常識が崩れ去るのです。

人類全体のもっとも強い思い込み(常識)は、「個別の私がいる」という思い込みだといえます。

それが前提で、すべてのものが成り立っています。ノンデュアリティや悟りのメッセージも例外ではありません。

なぜなら、それらのメッセージも、届ける人がいるという前提で、文章や動画を発信しているのです。

私もしかりです。

それが分かっているノンデュアリティのメッセンジャーは、「このメッセージは、全体にむかって発信しています。この口からひとりでに、メッセージがあふれているのです。」と表現します。

聞いていた人は、口をあんぐりと開けて、え!、私に向かって話しているのではないの?と、びっくりしたりします。

私は、ノンデュアリティのメッセージに触れる前に、突然、このピアニストのような目覚めが起こりました。

朝起きると、私はどこにもおらず、ヤン・ケルスショットの言葉を借りれば、キャプテンはどこにもいなかったのです。

突然、世界は、ひっくりかえりました。今まで信じていたものが、崩れ去り、まったく新しい世界が扉を開いたのです。キャプテン不在の世界です。

この時、「ああ、もうこれで苦しみは終わった。なぜなら苦しむ人はどこにもいないから」という思考が発生しました。しかし、この思考は「個人の私」から発生したわけではなく、ひとりでに、地面から蒸気が発生するように、私とは関係なく発生していたのです。

ピアニストのように、その後も、おなかがへり、食事をしたり、紅茶を飲んだりしました。

でも、私がそれをやっているという感覚は削げ落ちて、ただひとりでに、それが起こっているのです。

このような経験をする人(見かけ上の人)は、ますます増えています。

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