ファンタジーの終焉

今日は、「ファンタジーの終焉」ダリル・ベイリー (著)を紹介します。

「雲」P2~引用します。ちょっと長文です。
ーーーーー
昔、昔、丘の上で若者のグループが雲を眺めていました。田舎道を歩きながら、雲の形に魅了されてしまったのです。それは、実に大きく湧きあがった見事な雲で、ある一瞬は家の形に、次の瞬間には風船の群れ、そして、森、街、動物、人々へと形を次々に変え、その動きがやむことはありません。

そうこうするうちに、ある一人の見知らぬ老人が通りかかりました。グループは老人を見ると、興奮した声で「そこのご老人、こっちへ来なさいよ。一緒に雲を見ましょうよ!」と叫びました。

そそくさに互いに自己紹介を済ますと、老人は若者たちの輪に加わりはした。

雲が驚くような形を見せる中、午後は気持ちよく過ぎ去っていきました。雲の形は、戦場の兵士たち、遊び回る子供、野生の鳥、動物、魚、重い荷物をかつぐ家畜、母と子の姿、そして、恋人たちやいがみ合う者たち、友達、敵、人々の交流や一人者の姿、悲惨な風景など、様々な人生の模様も現れてきました。

時間が過ぎ、午後も暮れてくると、老人はようやく立ち上がり、その場を立ち去ろうとしました。

若者のグループに礼を言い、さようならと挨拶をしたものの、何となく躊躇し、グループを見つめました。

「ちょっと聞いてもいいかな?」

「もちろん」と彼らは口々に答えました。

「さっきまで見ていた、いろいろと現れてきた人たちのことを気にかけている?」

「えっ、誰のこと?」

「今日、雲の中に見た兵士や子供たちや動物とか……」

若者たちはお互いを見渡し、困惑した表情になりました。

「ご老人、人も動物も雲の中にはいないんですよ」と彼らの中の一人が答えると、他の者もうなづきました。

「どうしてそれが分かるのかね? どうして、それが雲だけだって分かるのかな?」

「見ての通りですよ」

「見ての通りって?」

「雲しかないじゃないですか。今もほら、あそこにあるでしょう」

「私たちが見ていたいろいろな形や出来事はどうなのかね?」

「形なんてないんですよ。雲があるだけで、特に決まった形がそこにあるわけじゃないんです」

「どうしてそれが分かるのかね?」

「ほら、雲をただ見てみてください。そうすれば分かるはずです」

「あなた方には何が見えるのかな?」

「そこに形なんてないことです」

「どうしてそれが分かるのかね?」

「なぜなら、形は常に変化しているからです。どの形も実際に存在していたわけじゃなくて、あなたが見た形はそれが何であれ、常に変化していて、違う形にまた変わっていくんです」

「どうしてそれが分かるのかね?」

「ただ見てくださいよ。あなたがしなければいけないのは、それだけです!」

「兵士も、動物も、子供たちもいないということだね?」

「いません。それらが存在していたかのように見えたかもしれないけど、実際には雲があるだけです」

「戦うことを決めた兵士や愛し合うことにした恋人同士も?」

「実際には存在しない形が何かを決めたり、したりすることができますか? 単に雲の動きがあっただけですよ」

「では、雲がその動きを決めているのかな?」

「いいえ、雲が自分で動きを決めているんではないです。実際に存在する形もないし、ただ動きが起きているだけです。それが自然というものです」

「つまり、人々は存在しないということ? 誕生や死も存在しないということ?」

「何の誕生と死のことを言っているのですか?  雲しかないんですよ。たくさんの形が現れては消えていくように見えるかもしれないけれど、決まった形のない雲があるだけです」

「そこに何かをしようと考えている人はいないのだね?」

「ええ、いません。そこに現れてきた形は、実際にはそこにあるわけじゃないんです。どの形も常に変化し続けていて、最終的に消えてしまうでしょう。あるのは、動きだけです。現れた形は、現実じゃないんです。見せかけの形です。動きがあるだけ。特に決まった形のない動きの流れがあるだけです」

「でも、あの寄り添っていった恋人同士は?」

「恋人たちも、兵士も、子供たちも存在しないんです。あるのは雲だけ」

老人は、ゆっくりと考えを巡らすと、こう言いました。

「ふむ、そこに形はないということだね? 行動を決めるということも、そして誕生も死もない?」

「その通り!」。若者たちは、やっと老人に理解してもらえたと思い、そう答えました。

「しかし、それが絶対に真実だと、どうして分かるのかね?」

「ただ見てくださいよ! あなたが見ている様々な形は常に変化していて、一度も変化が止まったことはないんです。特に決まった形がそこにあったことは一度もないんです。もし、雲がどんなものかをあなたが説明するとしたら、それは馬や兵士みたいに見えるものとは言わないはずです。そんなのは、本当の雲の説明にならないでしょう。雲は常に変化しているのだから。

現れた形は、現実ではないんです。変化しているということが現実です。それは基本的な事実ですよ。
どんなにそんなふうに見えたとしても、何かの行き来もないし、誕生も死もなく誰かが何かを決めたということもないんです。そこには動きがあるだけです。もし、雲を長く見つめていれば、誰でもそれは分かるでしょう」

老人は、注意深く考えながら尋ねました。

「あなた方は、それが真実だと絶対に確信できるのだね?」

「もちろん、絶対に確信できますよ。そしてあなただって、このダイナミックな、常に変化し、動いている状態を見れば、分かるはずです」

「うむ……」

老人は、彼らの言葉を深く考えた上で、「一つ尋ねても良いかな?」と言い、グループは黙ったまま老人の質問を待ちました。

「あなた方は、本当に人間なのかな?」

「一体あなたは何を考えているのですか? もちろん、私たちは人間です」

「しかし、あなた方も常に変化しているよね?」

「えっ?」

「あなたであるすべてーーあなたの体、思考、感情、興味、衝動、欲望、能力、選択、集中、観念、活動ーー、実際のところ、あなただけではなく、あなたが知っているすべてのものは変化している」

「それが、どうかしましたか?」

「すべてが常に変化しているよね?」

「はい・・・ 」、若者たちは小さな息をつきながら答えました。「確かにすべては変化しています」

「では、あなた方がそれらを変えているのかな?」

「いいえ、ご老人、それはただ単に・・・」

その瞬間、グループはその場に立ちすくみ、老人を見つめました。思考がぐるぐると巡り、他に答えはないのかと忙しく探し回りました。

老人は若者たちを見つめ返し、彼らも老人を見つめ続けました。老人はさらに彼らを見つめ、それは、とてもとても長い時間に感じられました。

そして、老人は微笑み、背中を向けて、また歩き出しました。
ーーーー

この序文の物語を読んだ時、うなりました。なんとわかりやすい例え話なのかと。常に変化している雲、一瞬あらわれる雲の形に名前とストーリーを想像して、若者が遊んでいたのを、老人は鋭く質問します。「あなた方は、本当に人間なのかな?」と、私達人間は、常に変化していて、その変化を自分で変えていないことを指摘して、それは、雲と同じではないかと投げかけます。

若者が雲について語った下記の言葉の「雲」を「人間」に置き換えると、非二元のよくあるメッセージにそのままなるのが面白いです。

現れた形は、現実ではないんです。変化しているということが現実です。それは基本的な事実ですよ。
どんなにそんなふうに見えたとしても、何かの行き来もないし、誕生も死もなく誰かが何かを決めたということもないんです。そこには動きがあるだけです。もし、を長く見つめていれば、誰でもそれは分かるでしょう

訳者の溝口あゆかさんも、この文章が印象に残ったみたいで、次のように訳者のあとがきで述べています。

この本を手にしたのは、2013年の春のことでした。序章の若者と老人の会話を読んだとき、
私はどことなく般若心経を感じ、深い心地よさに包まれたのです。というのも、その二年前に一瞥体験をしたせいで、今思えば「何も起きていない」、「何もない」という「空」に偏った真実の捉え方にはまってしまっていたからです。しかし、この本によって「変化するあらゆるもの」としての「色(現象)」にもっと目を向けることができ、何かもっと大きなもの、優しく揺るぎない真実が待っている予感がしたのです。

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