早く死ねたらいいね! ― <私はいない>を願う人への非二元と解放の言葉
今日は、「早く死ねたらいいね! ― <私はいない>を願う人への非二元と解放の言葉」リチャード・シルベスター (著)です。
序文P13から引用します。
ーーーーーー
解放を言葉で説明することはできない。マインドで理解することも不可能だ。
それが自ずから現れるまではわからない。たとえ姿を現しても、それを 言葉や概念で表現することはできないし、マインドがそれをつかみ取ることもできない。だが、解放は今あるすべてだ。まさにこの今。パラドックス。
解放の理解は、マインドとは関係がない。ここに解放は存在しているにもかかわらず、マインドがそれを覆い隠しているのだ。そして、覆 い隠しているそのマインドは、存在していない。
パラドックス。
解放は探求の終焉、意味づけの終焉だ。解放は人生の意味とは人生そのものであることを見せてくれる。すでに目の前にあるものを探求するなど不可能なのだ。
言語が表すのはその性質からして、出来事、経験、物事、思考、感情といった二元の現象、起きている事柄だ。非二元を説明する言葉は存在しない。私たちにせいぜいできるのは、遠回しに伝えることくらいだ。
ーーーーーー
解放を言葉で説明できないと、最初に断言しているにもかかわらず、解放について言葉でいろいろ語っています。パラドックの連続です。
最近感じるのは、究極的には言葉で表せない非二元やノンデュアリティ、悟りなどを、言葉で語っている本がいかに多いかです。(とって言っても、私も含めて、それを表現したいという欲求が起こってくるのでしかたがありませんが)
これもパラドックスかもしれません。
本(ことば)は月(悟りor解放)をさす、指にはなれるけど、月そのものにはなれません。
言葉は、ある時は、そのに導く糧となりますが、ある時点までくると障害になります。
最後は、言葉を超えた何かに触れる必要があるからです。
これ、衝撃的なタイトルですよね。
非二元やノンデュアリティの体験内容は言葉にできないにせよ、非二元(アドヴァイタ)の英訳がノンデュアリティですから、用語の歴史的な意味はすごく簡単です。非二元とは、インド哲学の最大のアドヴァイタ・ヴェーターンタ学派の事なんですよね。要は哲学です。こういう事をいう人が少ないのが不思議なんです。
たしかに、衝撃的なタイトルですね。一瞬、びっくりしました。松山さんは、いろいろお詳しいですね。解説ありがとうございます。