一切唯心造(絶対に思えない時)
昨日書いた、メルマガの内容をブログでもアップしたいと思います。
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仏教の言葉で、「一切唯心造」というのがあります。
すべての現象は、「私」の心(意識)が作り出しているという意味です。
しかし、日常生活を送っていると、目の前の出来事が、自分の心が造っているとは、
絶対に思えない時があります。
特に人間関係において、相手がリアルにいますので、
相手の幼さやエゴが見え隠れする時には、それを自分が創り出しているとは、思えません。
しかし、そんな時こそ、心のベクトルを外に向けるのではなく、内に向けて、
なぜ、その出来事(相手の幼さやエゴが見え隠れする場面)を自分が創りだしているのか?
と自分の心に問うと、答えが明確になります。
ここで、大きくわけて、3つのケースがあります。
1つ目:相手を反面教師として、学ぶ必要があるため。
2つ目:自分の中に、相手と同じ幼さやエゴがあることを気づくため。
3つ目:相手の幼さやエゴを、大きな心で受け入れる度量を磨くため。
(それすら、大きな「私」の中に存在しているものだと受け入れるため)
1つ目の答えは、出来事が過ぎ去れば、多くの人がその回答で納得するでしょう。
2つ目の答えは、それに気づくのは、難しいです。どうしても、相手が悪いと思ってしまい、
自分の中に、そのエネルギーがあり、一番身近な人に、それを放っていることに気が付けないからです。
3つ目の答えは、上級者向きです。1つ目、2つ目が納得できて、何度も2つ目に気づいていくと。
1、2では、どうしても、納得できないケースがでてきます。
その時に、3つ目の答えに気付くのです。
すべては、今ここにあり、相手の幼さやエゴも、今ここに存在しています。
それを否定することはできません。すでにあるからです。
それを許容することは、とても難しいですが、それを突破すると、広い視野が得られると思います。
それを日常生活で実践しつづけた人は、慈悲あふれる人になるでしょう。
今後のイベントなど
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