今、この瞬間を経験しているのは誰か?
抵抗したり、努力奮闘したりせず、もっとリラックスして、心を開き、ありのままの今にいるようにすると,
「分離した自分」という感覚がだんだん薄くなり、完全に消えてしまったと感じることもあるでしょう。
今ここにいようと努力しているように見える何者かは、無制限の存在の中に溶けて消えます。
その中では、意識と、意識される対象物はひとつなのです。
見ている者も、見られているものも、もう存在しません。あるのは、ただひとつのつなぎ目のない非二元的なリアリティーこれだけです。
中国の詩人、李白はこんなふうに表現しています。
「共に座るわれら、山と私。山だけが残るまで」
それと同時に,あなたは、すべてのものの下にある深い不動の静けさを経験します。
普段,あなたが自分自身だと思っている思考や感情よりも、その静けさのほうがリアルで本物だと感じられます。
つかの間、このような体験をすることは、時を超えたあなたの本性に目覚める準備となります。
あなたは、もっと深く、明らかな啓示を得たいと思うかもしれません。
「今、ここに在ること」を継続的に練習していると、ある時点で、努力する必要がなくなり、自然にできるようになります。
そして、最終的には、本当の自分に完全に目覚めることができるかもしません。
そのとき、意識は、自分が理解を超えた無限の沈黙であり、すべてが生まれ出る開かれたスペースであることに気づきます。
もしくは、あなたはなんの練習も探求もなしに思いがけなく、目覚めてしまうかもしれません。
しかし、多くの場合、目覚めのプロセスには、本当の自分を探そうとする、何らかの意図的な自己探求が伴います。
--「今、目覚める」スティファン・ボディアン p150より--
タイトルの「今、この瞬間を経験しているのは誰か?」と誰かに聞くと、
通常。「私にきまっているでしょ」という答えが返ってくると思います。
その「私」が何をさしているのかを、疑問に思う人は少ないでしょう。
こんな感じに分けられると思います。
1.物質中心の世界観を持っている人:肉体が私の本体である。あるいは脳。
2.スピリチュアリティを取り入れた世界観の人:魂が私の本体。あるいはハイヤーセルフ。
3.ノンデュアリティーや非二元の考え方を取り入れた世界観の人、一瞥体験者:分離のない全体性。ソレ。
スティファン・ボディアンは、3だと述べています。正確に表現すると
今、この瞬間を経験している”人(←1と2の世界観の方が感じている)”はいない。ただ分離のない全体だけがある。
そして、これに気が付くには、突然、気が付く場合もあるが、多くの場合、目覚めのプロセスには、本当の自分を探そうとする、何らかの意図的な自己探求が伴います。
これは、100人以上の一瞥体験者をインタビューした私自身の経験からも、そういえます。
ここで言われている”目覚め”とは周波数があがり五次元意識に目覚めることを指してはいません。
「すべての宇宙、パラレルワールド、多次元の世界、個性が認識できるすべての世界(色[シキ])」からの目覚めです。
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