臨在の光。光あふれる体験 その2

前回、ブログで書いた内容をメルマガで詳しく書きました。

反響がありましたので、メルマガの内容をその2として紹介させていだきます。

【アドリエ通信】126号「臨在の光。光あふれる体験」[令和元年12月24日]

冬至の日、

図書館にいく道を歩いていると、突然、

完璧な静寂。”ソレ”に触れる体験が起こりました。

帰宅してから、床につくと、体から光が溢れて、寝ることができず、

数時間、立ったまま、内からあふれ出る光とともに立ち尽くしました。

(その間、数年、治らなかった腰痛が消えていました)

ここ数か月、2020年からの方向性が定まらず、モヤモヤしていたものが、霧が晴れるように明確になり、

究極の安堵感と安らぎ、現実だと思っていた目の前のものが蜃気楼のように感じ、故郷に帰った懐かしさを感じました。

一瞬、個人の私が消え去り、全体だけがそこにある。完璧であるがゆえに、学ぶことも、進化することも必要のない存在と非存在を超えたすべて。

ああ、これが地球ひろしを通して”ワタシ”が伝えたいことだと、深いところで納得が起こった。

究極の視点から表現すると、個人のひろしはどこにもおらず、世界もない。ただ臨在の光があるのみ。

しかし、現実に見える世界は目の前にリアリティをもってある。そこは二元性の世界で、私とあなたがいる。

論理的には絶対わからない神秘。

直接体験した(仮)人は、それを実感する。

その後、聖者と呼ばれる数少ない(仮)人は、時代やその時の言語でそれを伝える。

数百年たって、それを伝え聞いた人が書物にする。

直接、聞いた人ですら、完全に理解していないのに、それの伝聞の伝聞。誰かがそれを書き記す。

宗派は分裂し、争う。その繰り返しが歴史。

しかし、どの時代、地域でも、それを直接体験する(仮)人はいる。

現代は、それを体験し、表現する人が増えている。

(仮)人の地球ひろしは叫ぶ!!!

今ここにある、ソレを多くの人に伝えたい。

すべての欲望を捨て去った時に残る、純粋な思いは、それだけ。

永遠の平安、実在と非実在を超えた愛、完璧な安らぎ。。。。。。

もう、どこにもいくこともなく、進化することもなく、求める必要もない。

完璧にただある。

なんという安心感。

ただ永遠の愛だけがある。

[編集後記]

私が冬至の日に体験したことを、文章にすれば上記のようになりました。

こういう体験をしたからといって、特別な人ではありません。

ただのおっちゃんです。

臨在の光に触れると、誰でも安堵し、幸福になります。

外に幸せを求める必要がなくなります。

ps
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