新しい「和の心」
日本人は、古来より、八百万神【やおよろずのかみ】を受け入れてきた。
「あの神様もいいけど、こちらの神様も素晴らしいね。」
という会話をする人達は、調和が保たれ、「和」になる。
一神教の神様を崇拝する宗教にもよさがある。
ただひたすら、ある神様を崇拝し、助けをもとめ、辛い人生を乗り切る力となる。
しかし、「私のところの神様だけが正しくて、お前の神は間違っている」
という会話が生まれると、争いが起こり、調和はなくなる。
「どこかに宇宙の究極の真理があり、それはただ一つだ」という考え方がある。
その考えもすばらしいものである。
ただ、私の体験から、宇宙には、真理を観る・様々な視点が存在していて、どの視点から見るかによって表現がかわり、ある視点から見ると、宇宙に究極の真理などないことになる。
もし、
「どこかに宇宙の究極の真理があり、それはただ一つだ」という考え方
を
「どこかに宇宙の究極の真理があり、それはただ一つだ」という表現がある
に置き換えると、他者の教えや考え方と調和がとれる。
「どこかに宇宙の究極の真理があり、それはただ一つだ」という考えから、「究極の真理を見つけた」という考えを信じてしまうと
「私は宇宙で唯一つの究極の真理を知っている、そのほかは全部、ウソの教え(orメッセージ)だ」という考えに至り、他の全部が、偽物でどうでもいいがらくたの教えに見える。
何を隠そう、私自身がそこに陥ったことがあり、その時期はそう考えていた。
今は、「宇宙には、真理を観る・様々な視点が存在していて、どの視点から見るかによって表現が変わる」ということを受け入れているので、いろんな教え・メッセージのいいところだけを見ようとしている。
すると、自分の心は平安になり、本物の覚者探しや、究極の真理探しから解放される。
また、「私の先生もいいけど、あなたの先生も素晴らしいわね」や
「私の学んでいる宇宙の真理もいいけど、あなたの学んでいる真理も素晴らしいわね」
となり会話者同士が高めあい、調和が生まれる。
新しい「和の心」とは、「宇宙には、真理を観る・様々な視点が存在していて、どの視点から見るかによって表現が変わる」ということを受け入れられる心である。
その心があると、自分の心も平安になり、他者との関係も調和が保たれる。
新しい「和の心」が広がると、世界が平和になる。